藝術文化雑誌『紫明』第四十四号

美の随想

 

君の名は。』から

 2016年に公開され大ヒットした新海誠監督の『君の名は。』を見る機会がありました。この映画は東京都心の高校に通う建築好きの高校生立花瀧と、飛騨山中 の糸守町の宮水神社に生まれた女子高生宮水三葉の二人が主人公です。二人の体がある時から時空を超えて(瀧の時間は2016年、三葉の時間は2013年)入れ替わるようになってしまったことから話は始まります。二つの時間のずれの中で物語が進み、彗星の落下による糸守町の全滅という結果と、時間のずれの中での予知、全町避難という結果が並行しています。つまり一方には死が、また片方には生があり、タイムマシンが出てくる物語の例にもれず、片方の結果はもう片方の未来を無いものとしています。そして結末は・・・という映画でした。

私はこの映画の途中で、その背景に含まれている深い意味に気がつきました。それは映画の前半で宮水神社の巫女でもある宮水三葉が、神楽舞のあと口咬み酒を作るシーンを見た時です。「口咬み酒」?・・・と頭の中で反芻していると、ネリー・ ナウマンNelly Naumann 1922〜2000)著の『生の緒』(檜枝陽一郎訳、言叢社、2005)に書かれていた口咬み酒のことを思い出しました。そこでDVD でもう一度『君の名は。』を見直してみると、この映画は時空を超えた青春映画であると同時に、縄文時代以来の信仰である月、水と蛇、死と再生をテーマにしているのだということがわかりました。 たとえば宮水姉妹が神楽を舞う神楽殿の背後には太鼓がありますが、そこには蛇の図像が描かれています。手に持つ神楽鈴にはとぐろを巻いたような龍の造形が見えます。龍が水の聖性に関わることはよく知られています。たとえば興福寺の乾漆八部衆立像のひとつ「沙羯羅」は八部衆の龍に相当し、雨を呼ぶ魔力があるとされていますが、立像を蛇が這い上がり頭の上で鎌首を擡げたいるのです。そして映画の中で相方である東京の高校生の名は「立花瀧」です。瀧は龍を含み、水そのものです。 瀧は三葉に会うために飛騨に出かけます。その時に瀧が着ているTシャツには〝Half Moon〟とプリントされています。〝Half Moon〟つまり半月は月の朔望の四相、 すなわち「新月・上弦・満月・下弦」の上弦と下弦です。下弦は現在でも地方に月待ちの民間信仰として残る「二十三夜」にあたります。さらにTシャツの上に羽織るパーカーには月をテーマとする図像(図1)をあしらったマークが付けられてい ます。立花瀧には月がシンボライズされているのです。このように『君の名は。』では、 月、水、蛇(龍)が重要な記号として登場していることがわかります。そこで古代から表わされてきた月、水、蛇について少し考えてみましょう。

民俗学者松前健氏は「ギリシャや、インドの『ウパニシャッド』などでは、死後の霊魂の住む楽土を月世界だと考え、恵まれた霊魂の住む往生楽土であると考えるようになった。そうなると、月神は、もはや単なる自然神ではなく、霊魂の永生や転生を掌る救済宗教の主となる。ギリシャ、ローマの密儀宗教であったエレウシス教、ミスラ教、イシス教、オルフェウス教などの主神や教祖は、いずれも死と復活の伝承で知られ、三日目に蘇生し、新月をシンボルとした像で表わされる。新月は、 ここでは、霊魂の更新と不滅を保証する救済のシンボルである。」と述べています

松前健「月と水」谷川健一編『日本民俗文化大系2 太陽と月』小学館、一九八三)。

古い信仰の中では、月、そして月神は、不死と結びついているのです。

日本の「竹取物語」では、かぐや姫が月へ帰るとき、この世に残した「不死の薬」を駿河の高峰で燃やしてしまいます。その駿河の高峰が「不死の山」を意味する「富士山」です。やはり月が死と再生と関わっていることを示しています。

前述のオーストリア出身の民族学者ネリー・ナウマンは、縄文土器に表れる図像を月と水、不死の観念から考察し、『生の緒』を著わしました。ナウマンは『生の緒』 の中で、井戸尻考古館(長野県富士見町)を中心に、八ヶ岳山麓で発掘された縄文中期の勝坂式土器をアジアにおける新石器時代の遺物の図像と比較しました。特に「藤内土偶」(長野県富士見町藤内遺跡発掘)の調査研究は興味深いものです。縄文時代土器土偶の顔面には左右の眉毛が形作る連続の弧と額上部の円弧か らなる形(図1)が多く見られますが、ナウマンはこの図形は三日月を想起させるとしています。また「眉月」とは三日月の細長い形のことですが、この図形は眉が 形作る額の形として、この「眉月」との親近性を感じさせます。ナウマンは藤内遺 跡出土の「藤内土偶」は額部分に見られる三日月の図形と、後頭部のとぐろを巻く 蛇の造形から月神であったと解釈できるとしています。土偶に見られる月と蛇の組 み合わせは縄文時代新石器時代)の人々に死と再生の観念があったことを示しているのです。

f:id:shig-03:20170223150919j:plain図1

「藤内土偶」には眼から下方に二本の刻まれた線があります。縄文時代のほかの 土偶の目や鼻や口の下にも刻まれた筋線や点線が見られます。ナウマンはその筋線 は月の神の涙、鼻水、涎だと解釈しています。また、中国の新石器時代遺跡の図像学的研究をしたカール・ヘンツェ(Carl Hentze 1883 ―1975)は同様の例が中国の半山遺跡やプレコロンブス期のアメリカにも存在し、これらは月神の涙や鼻水、涎であり、水の神の象徴であり、水を統べるシンボルだと述べています。月から蛇によって運ばれた聖なる水が涙、鼻水、涎として表されており、それは再生 をもたらす水、生命を繁茂させる水、「生」としての水とされたのです。

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中国甘粛省 半山式彩陶

Carl Hentze : Gods and Drinking Serpents. : History of Religions, Vol.42. 1965

 

さらにナウマン縄文時代、再生をもたらす「生(聖)」なる水は酒であり、それは木の実のでんぷん質と涎から作られた口咬み酒であったとしています。口咬み酒とは最も古い酒のひとつです。そして口咬み酒が、月からの神の涎として観念さ れ、聖なる月の水であり、再生の「生(聖)」なる水だったのです。

映画『君の名は。』では、三葉がつくる口咬み酒は再生をもたらす「生(聖)」な る水であり、瀧が宮水神社の聖地でそれを飲むことで、時空を超えた場所に再生し、三葉と出会うのです。宮水神社の聖地(奥の院?)は丸い隕石痕の中にあります。 この丸い形は月のメタファーなのでしょう。そういえば隕石落下前の糸守湖も隕石湖であり、丸でした。聖地の丸と隕石湖の丸は対でそれぞれ新月と満月なのかもしれません。

映画の中で三葉が婆ちゃんと組紐を編んでいます。組紐は瀧と三葉とを結ぶ重要なアイテムとしてシンボリックに出てきますが、組紐は時間を超えて二人を結ぶものであると同時に蛇のメタファーであることが想像できます。あるいはナウマンは縄文土偶の中には臍の緒を描いたものがあると指摘しており、組紐は臍の緒でもあるのかもしれません。

 

映画『君の名は。』は彗星の落下によって町か全滅する物語と、回避される物語か重ねられています。この映画の全体のテーマは死と再生です。そして新石器時代縄文時代)以来の口咬み酒、月と蛇の図像、さらに臍の緒という紐帯のシンホルか死と再生のテーマに重ねられているのです。